「ねえねえ、他人に媚を売るのって気持いい?」 「外面じゃなくてさ、中味で目立ちたい」

 クラスに、必ずひとりは、人気者の女の子っているじゃない?私は、そういう女の子たちを、すごく斜めに見てたね。本当は、こうこうこうのくせして、いい子ぶるんじゃないよ、とかね。
全然目立たなくてさ、欠席しても気付かれないタイプ。私は、自分の立場をそういうふうに持って行くことに、すごく満足してた。私のこと、全然目立たないどんくさい子だと思ってるでしょ。でも、クラス全員の心の中を取り出して並べたら、一番、目立っちゃうのは、私の心なんだよ、なんて思っちゃって。見えない所でいつも私は皮肉に笑ってたね。
 わー、陰険!! って私が言うと、あら、それってすごいことよ、と、ママは溜息をついている。私さあ。と、ちかは続ける。
太宰治の「人間失格」を読んだ時、思わず、あっと声を上げたね。あの中でさ、優等生の主人公が、鉄棒にわざと失敗して、皆の笑いを誘うところがあるんだ。で、クラスの連中は快くだまされるんだけどね、そんなかの知恵遅れの少年だけが、その主人公の嘘に気付いて、耳許で「ワザ、ワザ」って言うんだよね。ああ、自分がいた! って、それ読んだ時、思ったよ。

 私さあ、同じようなことしたことあるんだよね。クラスにさ、すごく可愛い女の子がいたの。その子は可愛いだけじゃなくて、誰にでもやさしい子だったから、皆に好かれてた。もちろん先生の大のお気に入り。普通、先生のお気に入りって妬まれるじゃない、でも、その子はそうじゃなかった。母親しかいなくて、貧乏な女の子に、一所懸命、やさしくするような子でさ、誰もが一目、置いてたんだ。私をのぞいてはね。
 なんで、そんないい子をいじけた目で見てたのよ、あんたはって私は聞く。

 その貧乏な女の子も、その女の子にやさしくされて、すごく慕ってたよ。だけど、私って、いつも人を見てるじゃない。そして、見なくていいものも時々見ちゃうんだよね。貧乏な家の女の子、お母さんが身のまわりのことをしてあげる暇がなかったのか、いつも、薄汚れた格好してたんだよね。だから、クラスの他の子たちは、あまり側に寄ろうとはしなかった。人気者の女の子だけは、全然、差別しないで接してたんだ。嬉しかったと思うよ。その貧乏な子供。
でも、ある日、人気者の女の子が、床の上に消しゴムを落っことしたんだよね。たまたま、その貧乏な子が、それを見て、急いで転がった消しゴムを拾いに行ってあげた。そして、すごく、嬉しそうな顔をして、人気者の女の子に渡したんだ。少しでも、恩返ししたいと思ったんじゃないの。で、人気者は、何度もお礼を言って、その消しゴムを受け取った。その時、女の子同士の手が、触れ合ったんだよね。で、人気者の女の子は、ちょっとしてから、全然目立たないように、スカートの裾で、自分の指を拭ったんだ。
別に私は驚かなかった。私は、その女の子が、そういう子だろうと、最初から、ねらいをつけてたからさ。次の日、その子の消しゴム、新しいのに変わってたよ。
 私はさ、別に、その人気者をぎゃふんて言わせるつもりもなかったんだ。ただ、ふうん、やっぱねえって感じ。だから、その女の子の側に何気なく近寄ってさ、ねえねえ、他人に媚を売るのって気持いい? って、ぼそっと聞いたんだ。その女の子、ぎょっとした様に私を見たよ。小学校の時だから、その子は媚って言葉も、もしかしたら、知らなかったかもしれない。でも、私の言おうとしてることは、明らかに伝わったね。それ以来、私が、ぼんやりして、たまたま、その子と目が合っちゃったりすると、真っ青な顔して横を向いちゃうようになったんだ。

山田詠美 著 「ひざまずいて足をお舐め」 P.179〜181




 思うんだけどさ、作家って、すごく目立ちたがりの人間がなる職業じゃないかな。それも、外面じゃなくてさ、中味で目立ちたいっていう、ね。派手な格好をして、目立とうって思う人達より、はるかに目立ちたがりの人種だと思うよ。でも、そういう人達に限ってそう言われるのが嫌なんだ。でも、私は嫌じゃない。私は、皆に、自分の中味はこんなふうなんだって見せたいもの。自分が、こんなふうにものを見ているってことを、色々な人に知らせたいもの。

山田詠美 著 「ひざまずいて足をお舐め」 P.166〜167






ひざまずいて足をお舐め (新潮文庫)

ひざまずいて足をお舐め (新潮文庫)

山田詠美の「半自伝的小説」。登場人物「ちか」に山田自身を重ねている。引用文中の「優等生と貧乏な女の子」のエピソードを語っているのも「ちか」。半自伝だけあって、完全ノンフィクションではないという。男女の性愛中心の著書が多い中、人間関係全般や女性としての生き方に焦点を当てた異色の作風。

  

斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇 (文春文庫)

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