「人間関係の濃淡」と「非コミュ」
断片に一回書きかけた記事だけど、いざ書きあがると本家のがいいかなと思って移動。
敢えて「なんですか?」には答えないけれど*1、思いついたことを書いてみる。
「薄い*2人間関係」というのは、非コミュにとってある意味「恐怖」なんじゃないかな。
薄いが故、そのぶん更に不確定で流動的でもあるし、きちんとわかる形で「互いの関係性の確認」をするのはほぼ不可能(試みたらなんだこの変な人は、ってなるはず)、全体像・全体に漂ういわゆる「空気」をくまなく見渡していないと下手に身動きを取ってとんでもない地雷を踏んでしまう危険性もある。
例としては職場・近所付き合い・「クラスメイト(≠クラスの友達)」などか。
そこんとこ非・非コミュは「どうせ薄い人間関係じゃーん、ま、テキトーにやってりゃいいじゃん。なんか旬な話題振って喋ってればだいたい仲良くなるよ。」程度の構えくらいしかないけど、それも非コミュにしてみれば、なんだろう、海での遠泳で「ここまで泳いできなさい」という印が見えない状況というのか、「どこまでどう泳いで行ったらいいのか」って心境だったり。
少なくとも「薄いから大変なことなんかないじゃない」、とはいかない。
逆に「濃く煮詰まった関係」は、こじらせると厄介である反面、案外非コミュにとっては過ごしやすいものであるケースが多いのでは。「濃い=(程度の差こそあれ)気を許せている」ってことでしょう。そういう「あなたは○○*3、私は××。そして私たちは仲良し。」という関係の中でなら、非コミュも多少は自由に泳げる。
長年の大親友の仲とか、言うまでもなく家族もね。*4あとは恋人・配偶者がいるならそれもか。*5
しかし、その煮詰まった関係内でドロッドロの愛憎劇など起きた日には、対処のしようもなくただ呆然と立ち尽くしてしまうか、変に気を回そうとして逆に場の状況をぐっちゃんぐっちゃんにしてしまうのも非コミュであるのだけどね…。いやはや。[断じて][遠い目など][しておらぬぞ!]