非コミュの限界に挑戦するプロジェクト エクストラ


いろいろな「非コミュの限界」例以外のブクマコメントへの返信です。
隅々まで面白く、興味深かったです。




僕は話好きだけど口下手という自分みたいな非コミュを想定したので。電車で乗り合わせた人とかと話せなければ途中で発狂する。(id:bluesy-k)


あー、ワタシはその真逆ですね。
電車で乗り合わせた人が延々と話しかけてきたら途中で発狂しますw 性別とか年齢とか外見とか属性はあんまり関係なく。基本的に移動中はイヤホンで音楽聴きながら外の景色をゆったり眺めるのがデフォ。(本はあまり読まない)
というか、話好きだけど口下手なのって、果たして非コミュなのか・・・!?いや、イイ意味で。
全面的に気を許している(人数は片手で余裕で足りる)人たち以外とは「他愛もない話」がほとんどできなくて困惑したり脂汗かいたり逃げ回ったりしているワタシから見れば「非コミュじゃない普通の人」との境目付近あたりにいるように見えて、素直に羨ましい。


非コミュでも、年齢層の多様なグループにおいてはさほど弱みは見せないと思うのだがid:zaikabou


そのとおりかも。ちょっと言い換えるなら、「生き様の多様なグループ」かもしれません。
というのも、就職して以来色々な職場を経験してきたワタシが唯一心から居心地良かった職場では、運よく「年齢層も生き様も多様なグループ」に属していたから。
年齢的には上はワタシの母親とあまり変わらないくらいから、ワタシの2つ下くらいまで。子どもがいる人も数人。後にも先にも「(休み時間の)雑談がうるさい」と叱られたのはこの職場にいた時だけです。(女性が圧倒的に多い職場だった。皮肉なもので期間限定の職場だったうえその後ワタシは引越したので関係は続いてない)
懐の深さのある苦労人や、色々な経験をしている年長者、もしくは子育て経験者との関わりは、もしかすると非コミュを変える大きな力を持っているのかも。


奇数人数での旅行・アウトドアスポーツは死ぬ。id:jituzon


なんにつけても 「女」 で 「奇数」、これは最悪の取り合わせですね。天ぷらにスイカ並。
女子校に長いこといたんですが、何度コレに泣かされたかわかりません。
奇数でもうまく交差型にコミュニケーションが取れれば問題ないけど、どうしても3人だと2:1となってしまいがち。余る理由は単に影が薄いとか嫌われてるとかいじめだとか、相性の問題とか共通の話題についていけないなど様々。
ところで男性でも同じ事態はあるのかな?よくわからない。(道行く男子高校生なんかは結構何人連れでもそれなりに好きなことやって仲良さげに見える。見えるだけ?)


親しい人と全然知らない人は大丈夫。半端な親しさが怖い。(id:kusamisusa)


「親しい人」:親しいが故に極端にわがままになってしまって嫌われるリスクさえ防げば安心。(日頃過剰に自分を抑制しがちな非コミュは陥りやすいので注意)
「全然知らない人」:かつ「二度と会わない(であろう)人」相手であれば良くも悪くも楽ではあるかな(だからか、受付・販売系の接客の仕事は結構楽しかった)
「半端に親しい人」:一番難しいですよね。まず、気遣いの匙加減がわかんないわけですよ。
あんまりかしこまっても(オール敬語とか)「ああこの人私のこと嫌いなんだ」「避けてる?」と思われそう、しかしバラエティ番組の芸人トークのような「愛のある毒舌トーク」も、どこまでが相手を不快にさせないかの匙加減がわからないから難しい。仮に他の人から同レベルのことを言われてニコニコしていたとしても、自分に対してもそうだとは限らないわけで。
そういう勘定をしているうちにどんどん「他愛無いコミュニケーション」がインポッシブルになっていくのねん。


「途中出席の飲み会で一発芸やる」状況と「奇数人数での旅行(女性メンバー)」って状況だと苦しさの質が違うなあ、とか思った。(短期型と長期型?)id:ch1248


短期型と長期型・・・「一時の恥」 VS 「さりげないはぐれ感ダラダラ」?
ワタシ個人的には後者が圧倒的に辛いですね。
飲み会の途中出席なんかは、その時のメンバーにもよるけど「なんとなーくてきとーに参加」するだけなら結構得意だし。奇数人数の旅行でずっとおミソ的ポジションってのは、帰るころには気力も体力も消耗しきってそう。
人前で目立つのが極端に苦手な人の場合、前者はどうしても勘弁ってのはあるかもしれない(ワタシはそこらへんには免疫あるので。一瞬恥かいただけで許されるなら・・・的思考)
こういう視点で見ていくと、「まったく知らない人との関わり」 VS 「中途半端に知ってる人との関わり」とか、いろんな対比パターンが生まれるかも。





この著者に聞いてみたいのだが、コミュニティに属するのが「苦手」なのか、「嫌い」なのかどうなんだろう。また、「属してみたい」という欲求はあるのかどうか。id:suVene


怖い質問ktkr!
なんていってないでw真面目に答えます。*1 
返答だけでなく、半ば独白風になってしまうかも。


まず、基本的に今のワタシはコミュニティに属するのが苦手とか以前に、「属さないとごはん食べていけないッ!」な状況にあるので否応なしに属している状態です。今の仕事は、コミュニティに一切属さずには成り立つものではないので。(大抵の仕事はそうだと思いますが)
そしてそこでは何とか最低限(この語のモロ額面通り。コミュ能力高い人の最低限とは、きっとかなり違うと思われる)のコミュニケーションを取りつつ生きているんですが。
そこでのワタシの心情は「楽しい」「幸せ」より圧倒的に「辛い」「キツい」「苦しい」が多く、そしてその傾向は時を重ねるごとに強くなり、それによって「非コミュ」だとハッキリ自覚した次第です。


遠い遠い昔は、物怖じせずに人に話しかけたりもしてたんですけどね。
それ故、これまで何度か人生の中で大きな曲がり角を曲がったり落とし穴に落ちたりする毎に人と接するのに異常なまでの神経を消耗するようになり、それでも自分は「明るく活発な性格だ」と信じてきたのです。(今思えば何て無謀な思い込みだ)
それがここ数年の出来事を通して一気に崩れ去りました。
そして、はてなの中で「非コミュ」という語と意味を知り、初めて「ああ、ワタシは非コミュだったんだ」と認識したのです。


というわけで、簡潔にはこうなるのかな。


「苦手」or「嫌い」 ⇒ 「苦手」 
「属したいか属したくないか」 ⇒ 現状では「否応がなしに属して」はいる。かといって今後「一切属したくない」とは思わない。


「あなたは、本当のひとりぼっちを知らないのよ。」


というのは、ワタシの愛するドラマ『結婚できない男』の中にある「俺は独りでも平気だ」とうそぶく偏屈な主人公・桑野信介*2に対する、彼の母親の台詞なのですが。
主人公は結局、「独り」といえども仕事仲間もいて家族も健在で交流もあるわけで、それすら失った時の絶望感を喚起していたのでしょう。


ワタシも「本当のひとりぼっち」は怖い。
ただ、「日々過剰な人間関係の摩擦の中で過ごす」生き方は、ワタシにとってはどうしても合わない生き方のようだという思いはある。
というわけで、過剰な摩擦は避けつつ適度に他人とコミュニケーションを取り、楽しく過ごせる人生の道を(まだ脳内だけでの段階ですが)模索している途中です。


というわけで、どうやらワタシは他人とのコミュニケーションを「断つ」ことはできないようです。


それがある限り悩みは尽きないのでしょうが、「真の孤独」とは違う理想郷を求め続けているような気がします。

*1:急いで書いてる文章なんでまとまりなさすぎですんません

*2:本当にしつこいけどワタシの心の恋人&ダントツNo.1萌えキャラ