「手榴弾」と「砂糖菓子」


ワタシは、「人を褒めること」が苦手だ。

tomomoon 人を褒めることってワタシにとってはものすごい勇気がいることなんすけど、そういう人ってそういないのかなあ


palさんエントリで引用されたこの呟きは、正真正銘ワタシの本心で、また悩みでもある。ネタ色も強くて面白いエントリの後で申し訳なくもあるけれど、書き出したら止まらなくなったのでちょっと暗い自分語りを交えて書いていく。


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「褒め褒めコミュニケーション」
(とにかく褒めて褒めて褒めあいまくって笑顔で楽しく仲良く)

「ファックコミュニケーション」
(けなし合っても、罵倒し合っても仲良しってことで最終的に信頼関係を確認)


このふたつは、対立するものとして語られている。


しかしワタシにとっては、「誰かを褒めること」からして相当に勇気の要る行為だ。
誰かを「褒めること」も「けなすこと」も、実は「相手を自分の価値観の物差しによって評価付け、それを相手にハッキリ伝える」という点では同じ。


「けなすこと」が相手に向かって手榴弾を投げつける行為であるならば、「褒めること」は砂糖菓子を相手の口の中に投げ込む行為だと思う。


「ファックコミュニケーション」の場合、手榴弾の威力はあくまでお遊び程度で死にはまず至らない「であろう」ものを選び、相手の急所はきちんと外した上で投げてよけてまた投げ返して、を楽しむものなのだろう。
「褒め褒めコミュニケーション」では、砂糖菓子を投げ込む時にはあくまで笑顔で優しくぽんっ、と投げ込む。そして投げ込まれた方は違う味の砂糖菓子をまた投げ返す。


誰だっていきなり手榴弾を投げつけられれば驚くし、「何すんだよ!!」と逆上するのも当然だ。
しかし逆に甘い物が虫唾が走るほど大嫌いな人の口内に砂糖菓子を放り込めば、それもまた相手を逆上させてしまう行為となる。
いや、例え甘い物が大好きであっても

「今は食べたい気分じゃないんだよ!余計なことすんな!」
「甘いものは好きだけどさ、これは嫌いなんだよ…」
「今は虫歯の治療中だからやめてくれ」
「そんな汚い手で掴んだ物なんかいらねーよ!」

と、拒絶されることだってある。
運が悪ければ、周囲の人達から

「あの人、好かれたいからって甘い物で釣ろうとして…必死だなw」

などと嘲笑されてしまう可能性だってある。
ワタシが恐れているのは、まさにこういうことなのだ。


肉親に代表される「心の距離が半端でなく近い間柄」なら、砂糖菓子は「投げ込む」までもなくすぐ隣から差し出すことが出来る。相手がそれを本当に必要としているかどうかも訊ねやすいし、「今は要らない」と言われても傷付くことはないのだが。


「誰かに褒められる」ことは、必ずしもいつでも誰にとっても嬉しいことにはならない。
周囲からみても「けなす」ことより遥かに無難で、かつ微笑ましく和やかな気分になる「可能性は高い」が、必ずしもそうではないのだ。


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学生時代、所属していた音楽関係のサークル活動にて。
演奏会後の打ち上げ中、日頃から慕っていた指揮者の方の指揮が本当に素晴らしかったな、とふと思い、丁度そこに本人が登場したので思わず声を掛けた。

「先生の指揮、本当に良かったです!」

それを聞いていたあまりワタシのことを好まない男性二人が

「アイツなんかに言われたくないよなw」

と言っていた、そうだ。後になって他の人から聞いたことだけど*1、時間差心理攻撃とでもいうんだろうか、時間が経っていたからこそ深く心に「キた」。もし直接言われていたなら言い返しようもあっただろうが。
元々アクの強い性格なのか何なのか、好かれる人にはとことんまで好かれることも(ごくたまに)あるが、嫌われる場合はそれこそ半端なく嫌われる上、当時は自分至上でも例外的なまでにはっちゃけていた時期だったのでまあほんと掬いきれずにナベいっぱいレベルのアクっぷりだったのだろうからまあ仕方ないっちゃ仕方ないのかもしれないが。


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褒められた相手本人は喜んでくれたとしても、それだけでは終わらないという事実。
また、自分が好意を持っていて心の底から褒めたくて褒めた人の反応が薄いなと思っていたら、相手はワタシのことを良く思っていなかったという事実を後で知ったりもした。相手はさぞ、ワタシに褒められたことで苦々しい気分だったことだろう。このような事実の積み重ねで、ワタシは誰かを褒めることが物凄く苦手になってしまった。
「褒めれば大抵の人は嬉しい気持ちになる」「誰かを褒めることはコミュニケーションにとって重要な潤滑油になる」ことは、頭では理解している。そして、他ならぬワタシ自身、誰かに褒められればそれだけで飛び上がるほど嬉しくなる人間だ。
それなのに、体が応えない。口が開かない。

「ワタシが褒めても逆に気分を害するかもしれない」
「嘘臭く聞こえるかもしれない」
「自分が褒めたいところが本人のコンプレックスだったりしたらどうしよう」

そんなことを考え出すとキリがないのだが、考えずにはいられなくなる。
人間にとって、「成功体験」よりも「失敗体験」のほうが遥かに記憶に残りやすいという。そんな積み重なった失敗体験*2による記憶の集まりが、無難で和やかで一般的にはとっつきやすいとされる「褒め褒めコミュニケーション」すら困難にさせている。


「わざとけなすこと」なんてとんでもないが、「褒めること」だって同様に誰かの心に波風を立てる可能性を十分孕んでいる。ワタシは、その事実を嫌というほど知ってしまった。仕方がないから余程でない限り手榴弾はもちろん砂糖菓子さえ自分の懐奥深くにしまって手も足も出さないでいると、周囲は余計寂しくなっていった。

*1:言う人も言う人だよな

*2:みなし、も含むが